はじめに
鼠径部(そけいぶ)は、太ももの付け根から下腹部にかけての部位で、普段はあまり意識することがない場所かもしれません。しかし、この部位にしこりを感じた時、多くの方が不安を抱かれることでしょう。鼠径部のしこりは決して珍しいものではありませんが、その原因は多岐にわたり、適切な診断と対応が重要です。
本記事では、鼠径部のしこりについて、その原因となる様々な病気から症状の特徴、診断方法、治療法まで、医学的根拠に基づいて詳しく解説いたします。気になる症状がある方は、本記事を参考に早めの受診をお勧めします。

1. 鼠径部とは何か?
1.1 鼠径部の位置と構造
鼠径部とは、足の付け根のややくぼんだ部分から斜め上へと向かう線、いわゆるVライン(ビキニライン)付近とVラインからやや内側の領域を指します。この部分には「鼠径管」という細い管があることから、この名前で呼ばれています。
解剖学的には、鼠径部は胴体と下肢の連結部分に位置し、以下のような重要な構造物が集まっています:
- 鼠径靭帯:恥骨から上前腸骨棘に向かって走る重要な靭帯
- リンパ節:感染症や悪性腫瘍の防御に重要な役割を果たす
- 血管系:大腿動脈・静脈などの主要血管
- 神経:大腿神経などの重要な神経
- 鼠径管:男性では精索、女性では円靭帯が通る管状構造
1.2 鼠径部の機能的意義
鼠径部は単なる解剖学的境界線ではなく、以下のような重要な機能を担っています:
- 構造的支持:上半身の重量を下肢に伝達する重要な役割
- 免疫防御:リンパ節による感染症の防御機能
- 血液循環:下肢への血液供給の要所
- 神経伝達:下肢の感覚・運動を司る神経の通り道
2. 鼠径部のしこりの主な原因
鼠径部にしこりが現れる原因は多様で、良性のものから緊急性を要するものまで様々です。ここでは、代表的な疾患について詳しく解説します。
2.1 鼠径ヘルニア(脱腸)
2.1.1 概要と疫学
鼠径ヘルニアは、鼠径部のしこりの最も多い原因です。本来お腹の中にあるはずの腸などの臓器が、鼠径部の筋肉の隙間から皮膚の下まで飛び出してくる病気で、一般的に「脱腸」と呼ばれています。
日本ヘルニア学会の「鼠径部ヘルニア診療ガイドライン2024第2版」によると、鼠径ヘルニアの発症因子として以下が挙げられています:
- 男性(男女比は約8:1)
- 高齢者
- 家族歴
- 慢性咳嗽や慢性閉塞性肺疾患
- 前立腺肥大症などの下部尿路機能障害
- 肉体労働
2.1.2 症状の特徴
鼠径ヘルニアの典型的な症状は以下の通りです:
- 立ったり力を入れると現れるしこり:横になると消失する
- 初期は無痛性:発症初期は痛みを伴わないことが多い
- 徐々に増大:時間の経過とともに大きくなる傾向
- 違和感や引っ張られるような痛み:進行すると痛みを感じることがある
2.1.3 緊急性を要する合併症
鼠径ヘルニアで最も注意すべきは「嵌頓(かんとん)」という合併症です。これは脱出した腸管が筋肉の隙間に締め付けられて戻らなくなった状態で、以下の症状が現れます:
- 激しい痛み
- しこりが硬くなり、押しても戻らない
- 発熱
- 嘔吐
- 腹痛
嵌頓は腸管壊死や腸閉塞を引き起こし、生命に関わる緊急事態となるため、即座の手術が必要です。
2.2 リンパ節腫大・リンパ管炎
2.2.1 リンパ系の基本的役割
リンパ系は体の免疫システムの重要な構成要素で、鼠径部には多くのリンパ節が集中しています。これらのリンパ節は、下肢や骨盤内臓器からのリンパ液をろ過し、細菌やがん細胞をせき止める役割を担っています。
2.2.2 リンパ節腫大の原因
鼠径部のリンパ節が腫大する原因は大きく以下に分類されます:
感染性原因
- 下肢の細菌・真菌感染症(水虫、蜂窩織炎など)
- 性感染症(梅毒、淋病、クラミジアなど)
- ウイルス感染症(EBウイルス、サイトメガロウイルスなど)
非感染性原因
- 悪性リンパ腫
- 他臓器からの転移性がん
- 膠原病などの自己免疫疾患
- 薬剤性(一部の抗リウマチ薬など)
2.2.3 症状の特徴と鑑別ポイント
リンパ節腫大の特徴的な所見:
- 形状が明確:触診で境界がはっきりしている
- 可動性:周囲組織と癒着していなければ動く
- 痛みの有無:感染性は痛みを伴うことが多く、悪性は無痛性のことが多い
- 大きさ:通常2-3mmのリンパ節が1cm以上に腫大
2.3 皮下腫瘍
2.3.1 粉瘤(ふんりゅう)
粉瘤は皮膚の下に袋状の構造ができ、その中に角質や皮脂などの老廃物が蓄積する良性腫瘍です。鼠径部は摩擦や蒸れが多いため、粉瘤ができやすい部位の一つです。
特徴
- 通常は無痛性
- ゆっくりと成長
- 中央に黒い点(開口部)が見えることがある
- 感染すると赤く腫れ、痛みを伴う
2.3.2 脂肪腫
脂肪腫は脂肪細胞が増殖してできる良性腫瘍で、全身どこにでも発生する可能性があります。
特徴
- 柔らかい質感
- 通常は無痛性
- ゆっくりとした成長
- 周囲組織との境界が明確
2.3.3 皮下膿瘍
細菌感染により皮下に膿が蓄積した状態で、主に化膿性汗腺炎などが原因となります。
特徴
- 強い痛みと熱感
- 発赤・腫脹
- 発熱を伴うことがある
- 膿が排出されることがある
2.4 女性特有の疾患
2.4.1 ヌック管水腫
ヌック管水腫は女性特有の疾患で、鼠径部にあるヌック管(腹膜鞘状突起)に液体が溜まることで生じます。1691年にオランダ人のNuck氏が最初に報告したため、この名前で呼ばれています。
発症メカニズム 胎児期に形成されるヌック管は、通常生後1年以内に自然に閉鎖しますが、何らかの理由で閉鎖されずに残存し、内部に液体が溜まることで発症します。
症状の特徴
- 鼠径部にコリッとしたしこり
- 手で押しても引っ込まない(鼠径ヘルニアとの鑑別点)
- 軽い痛みを伴うことがある
- 大きさに変化がある
合併症 まれに子宮内膜症がヌック管に発生することがあり、この場合は月経周期に連動した痛みが現れることがあります。
2.4.2 子宮内膜症
鼠径部の子宮内膜症は比較的まれですが、妊娠可能年齢の女性では念頭に置くべき疾患です。
症状
- 月経周期に連動した痛み
- 鼠径部のしこり
- 月経時の症状増悪
2.5 男性特有の疾患
2.5.1 精索水腫・陰嚢水腫
男性の場合、胎児期の腹膜鞘状突起の残存により、精索周囲や陰嚢内に水が溜まることがあります。
特徴
- 鼠径部から陰嚢にかけての腫脹
- 透光性(ライトを当てると透ける)
- 通常は無痛性
2.5.2 精索静脈瘤
精索静脈が拡張してコブ状になった状態で、鼠径部から陰嚢にかけて痛みを感じることがあります。
2.6 血管系疾患
2.6.1 下肢静脈瘤
太ももからふくらはぎの内側を流れる大きな静脈にコブのような膨らみができる疾患で、鼠径部にも及ぶことがあります。
リスクファクター
- 長時間の立ち仕事
- 妊娠
- 遺伝的要因
- 加齢
症状
- 鼠径部の血管の膨らみ
- 重だるさ
- むくみ
- 夕方の症状増悪
2.6.2 動脈瘤・仮性動脈瘤
鼠径部の動脈が拡張したり、血管の壁に損傷が生じて血腫を形成したりする病態です。
原因
- 外傷
- 医療処置後の合併症(心臓カテーテル検査後など)
- 動脈硬化
3. 症状の特徴と鑑別のポイント
3.1 しこりの性状による分類
鼠径部のしこりを評価する際は、以下の特徴に注目することが重要です:
3.1.1 硬さによる分類
硬いしこり
- 粉瘤
- リンパ節腫大
- 悪性腫瘍
- 石灰化を伴う病変
柔らかいしこり
- 脂肪腫
- 鼠径ヘルニア(初期)
- 水腫
3.1.2 可動性による分類
可動性あり
- 脂肪腫
- 粉瘤
- リンパ節腫大(初期)
可動性なし
- 癒着した腫瘍
- 炎症性病変
- 進行した悪性腫瘍
3.1.3 痛みの有無
有痛性
- 感染性リンパ節炎
- 皮下膿瘍
- 嵌頓ヘルニア
- 感染性粉瘤
無痛性
- 鼠径ヘルニア(初期)
- 脂肪腫
- 悪性リンパ腫
- 非感染性粉瘤
3.2 時間的変化による評価
3.2.1 急速に変化するもの
数日から数週間で変化
- 感染性リンパ節炎
- 皮下膿瘍
- 嵌頓ヘルニア
3.2.2 緩徐に変化するもの
数ヶ月から数年かけて変化
- 鼠径ヘルニア
- 脂肪腫
- 粉瘤
3.2.3 変動性があるもの
大きさが変化する
- 鼠径ヘルニア(立位で増大、臥位で縮小)
- ヌック管水腫
- 精索水腫
3.3 年齢・性別による特徴
3.3.1 小児期
- 先天性鼠径ヘルニア
- リンパ節炎(感染性)
3.3.2 成人男性
- 鼠径ヘルニア(40歳代以降に多い)
- 精索水腫・精索静脈瘤
3.3.3 成人女性
- ヌック管水腫(20-40歳代に多い)
- 子宮内膜症
- 大腿ヘルニア(高齢女性に多い)
4. 診断方法と検査
4.1 問診の重要性
適切な診断のためには、詳細な問診が欠かせません。以下の点について詳しく聞き取ります:
4.1.1 症状の経過
- 発症時期:いつから気づいたか
- 変化の様子:大きさや硬さの変化
- 誘発因子:立位や腹圧で変化するか
- 随伴症状:痛み、発熱、その他の症状
4.1.2 既往歴・家族歴
- 手術歴:特に腹部・骨盤内手術
- 外傷歴:鼠径部への外傷
- 感染症:下肢や生殖器の感染症
- 家族歴:ヘルニアの家族歴
4.1.3 生活歴・職業歴
- 職業:肉体労働の有無
- 運動歴:特にスポーツによる外傷
- 喫煙・飲酒歴
4.2 身体診察
4.2.1 視診
- 形状:膨らみの形や大きさ
- 皮膚の変化:発赤、色調変化
- 対称性:左右差の有無
4.2.2 触診
- 硬さ:軟らかさ、硬さの程度
- 境界:周囲組織との境界の明瞭さ
- 可動性:皮膚や深部組織との関係
- 圧痛:痛みの有無と程度
- 波動感:液体貯留の有無
4.2.3 特殊な診察法
ヴァルサルバ手技 患者に息を止めて腹圧をかけてもらい、ヘルニアの有無を確認する方法です。立位で行うとより効果的です。
透光試験 ペンライトを当てて光が透過するかを確認し、水腫の診断に有用です。
4.3 画像検査
4.3.1 超音波検査
超音波検査は、鼠径部疾患の診断において最も有用な検査の一つです。
利点
- 非侵襲的で安全
- リアルタイムでの評価が可能
- 立位での負荷検査が可能
- 血流評価も可能
診断能力
- 鼠径ヘルニアの診断:感度86%、特異度77%
- 水腫や血管病変の評価に優れる
- リンパ節の大きさや性状の評価
4.3.2 CT検査
CTは超音波で診断困難な場合や、悪性疾患が疑われる場合に有用です。
適応
- 悪性腫瘍の疑い
- 複雑なヘルニアの評価
- 炎症性疾患の範囲の評価
診断能力
- 鼠径ヘルニアの診断:感度80%、特異度65%
4.3.3 MRI検査
MRIは軟部組織のコントラストに優れ、詳細な評価が可能です。
適応
- 悪性腫瘍の疑い
- 神経系病変の評価
- 子宮内膜症の診断
4.4 血液検査
4.4.1 一般的な血液検査
血球算定
- 白血球数:感染症や血液疾患の評価
- 血小板数:出血傾向の評価
生化学検査
- CRP:炎症反応の評価
- LDH:腫瘍マーカーとしての意義
4.4.2 腫瘍マーカー
悪性腫瘍が疑われる場合、以下のマーカーが有用な場合があります:
- PSA:前立腺がん
- CA125:卵巣がん
- AFP、HCG:精巣腫瘍
4.4.3 感染症検査
- 細菌培養:感染性リンパ節炎の起因菌同定
- 血清学的検査:梅毒、HIV等の性感染症
4.5 病理学的検査
4.5.1 細胞診
リンパ節腫大で悪性が疑われる場合、細針吸引細胞診を行うことがあります。
4.5.2 組織生検
確定診断のためには組織生検が必要な場合があります。特に以下の場合に考慮されます:
- 悪性リンパ腫の疑い
- 転移性がんの疑い
- 原因不明のリンパ節腫大
5. 治療方法
5.1 鼠径ヘルニアの治療
5.1.1 手術適応
日本ヘルニア学会のガイドラインによると、以下の場合に手術が推奨されます:
手術必須の場合
- 嵌頓症例
- 嵌頓移行の危険が高い症例
手術推奨の場合
- 症状がある鼠径ヘルニア
- 日常生活に支障をきたすもの
経過観察可能な場合
- 嵌頓の危険が少なく、症状の軽い症例
- 手術リスクが高い患者
5.1.2 手術方法
鼠径部切開法
- 直接鼠径部を切開する従来の方法
- 局所麻酔下での施行が可能
- 日帰り手術が可能
腹腔鏡手術
- 腹腔鏡を用いた低侵襲手術
- 両側同時手術が可能
- 術後の痛みが少ない
- 再発率が低い
5.1.3 使用するメッシュ
現在の鼠径ヘルニア手術では、再発予防のためにメッシュ(人工の網)を使用することが標準的です。
メッシュの種類
- ポリプロピレン製
- ポリエステル製
- 複合材料製
5.2 リンパ節腫大の治療
5.2.1 感染性リンパ節炎
抗菌薬治療
- 起因菌に応じた適切な抗菌薬選択
- 治療期間:通常1-2週間
対症療法
- 消炎鎮痛薬
- 局所の冷却・安静
5.2.2 悪性リンパ腫
悪性リンパ腫の治療は、病型や病期により大きく異なります。
化学療法
- 標準的な多剤併用療法
- 分子標的薬の併用
放射線療法
- 限局期病変に対して
- 化学療法との併用
5.3 皮下腫瘍の治療
5.3.1 粉瘤
小さな粉瘤
- 経過観察
- 感染予防の指導
大きくなった粉瘤や感染した粉瘤
- 外科的摘出
- 局所麻酔下での日帰り手術が可能
5.3.2 脂肪腫
小さな脂肪腫
- 経過観察で十分
大きな脂肪腫や症状のあるもの
- 外科的摘出
- 局所麻酔下または全身麻酔下での手術
5.3.3 皮下膿瘍
軽症例
- 抗菌薬による保存的治療
重症例
- 切開排膿
- 抗菌薬による全身治療
5.4 女性特有疾患の治療
5.4.1 ヌック管水腫
治療方針
- 自然治癒は期待できないため、症状があれば手術を検討
- 手術では、ヌック管の完全な切除と閉鎖を行う
手術方法
- 鼠径部小切開による手術
- 腹腔鏡手術
5.4.2 子宮内膜症
薬物療法
- ホルモン療法(GnRHアゴニスト、低用量ピルなど)
- 鎮痛薬
手術療法
- 病変の完全摘出
- 腹腔鏡手術が第一選択
5.5 血管系疾患の治療
5.5.1 下肢静脈瘤
保存的治療
- 弾性ストッキングの着用
- 生活指導(適度な運動、足の挙上など)
侵襲的治療
- 血管内レーザー治療
- 高周波アブレーション
- 静脈抜去術
- 硬化療法
5.5.2 動脈瘤
小さな動脈瘤
- 経過観察
- 定期的な画像検査
大きな動脈瘤や症状のあるもの
- 外科的修復
- ステントグラフト内挿術
6. 診療科の選択と受診のタイミング
6.1 適切な診療科の選択
鼠径部のしこりで悩まれた際、どの診療科を受診すべきか迷われる方も多いでしょう。以下に症状別の受診科をご案内します:
6.1.1 症状別受診科ガイド
しこりが押すと戻る場合
- 外科(ヘルニア外来)
- 消化器外科
- 鼠径ヘルニアの可能性が高いため
しこりが硬く、押しても戻らない場合
- 外科
- 形成外科
- 皮膚科(皮膚に近い病変の場合)
発熱や強い痛みを伴う場合
- 外科
- 感染症内科
- 皮膚科
女性で月経と関連した症状がある場合
- 婦人科
- 外科
男性で陰嚢にも腫れがある場合
- 泌尿器科
- 外科
6.1.2 初診時のアプローチ
迷った場合は、まず以下の科を受診することをお勧めします:
- かかりつけ医:総合的な判断と適切な専門科への紹介
- 外科:鼠径部疾患の多くを診療可能
- 総合内科:全身状態の評価と専門科への橋渡し
6.2 緊急受診が必要な症状
以下の症状がある場合は、速やかに医療機関を受診してください:
6.2.1 緊急性の高い症状
嵌頓ヘルニアを疑う症状
- 突然の激しい痛み
- しこりが硬くなり、押しても戻らない
- 嘔吐
- 発熱
- 腹痛
感染症を疑う症状
- 高熱(38.5℃以上)
- 強い局所の痛みと腫れ
- 全身倦怠感
- 意識レベルの低下
悪性腫瘍を疑う症状
- 急速なしこりの増大
- 体重減少
- 夜間盗汗
- 全身のリンパ節腫大
6.3 受診前の準備
6.3.1 症状の記録
受診前に以下の点を整理しておくと、診断に役立ちます:
- 発症時期:いつから気づいたか
- 変化の様子:大きさや症状の変化
- 誘発因子:どのような時に症状が現れるか
- 随伴症状:他にどのような症状があるか
6.3.2 写真の撮影
しこりが時々しか現れない場合は、症状が現れた時の写真を撮影しておくと診断に有用です。
6.3.3 薬歴の整理
現在服用中の薬剤リストを作成し、お薬手帳を持参してください。
7. 予防と生活上の注意点
7.1 鼠径ヘルニアの予防
7.1.1 生活習慣の改善
適度な運動
- 腹筋の強化
- 有酸素運動の習慣化
- 急激な重量物の持ち上げを避ける
体重管理
- 適正体重の維持
- 肥満の解消
便秘の予防
- 食物繊維の摂取
- 適度な水分摂取
- 規則的な排便習慣
7.1.2 危険因子の管理
慢性咳嗽の治療
- 禁煙
- アレルギーの管理
- 感染症の適切な治療
前立腺肥大症の管理
- 定期的な泌尿器科受診
- 薬物療法の継続
7.2 感染予防
7.2.1 皮膚の清潔
- 毎日の入浴・シャワー
- 鼠径部の清潔保持
- 適切な下着の選択
7.2.2 外傷の予防
- 適切な保護具の使用
- 危険な作業時の注意
- スポーツ時の適切な装備
7.3 定期的な自己チェック
7.3.1 チェック方法
視診
- 立位での鼠径部の観察
- 左右差の確認
- 皮膚の変化の確認
触診
- 優しい触診での腫瘤の確認
- 痛みの有無の確認
7.3.2 チェックのタイミング
- 月1回程度の定期的なチェック
- 入浴時などのリラックスした状態で
- 気になる症状があった時は随時

8. よくある質問(FAQ)
A1: いいえ、すべてのしこりが手術を必要とするわけではありません。原因によって治療法は大きく異なります。感染性のリンパ節炎であれば抗菌薬による保存的治療で改善しますし、小さな脂肪腫であれば経過観察で十分な場合もあります。ただし、鼠径ヘルニアは自然治癒することがないため、症状がある場合は手術を検討する必要があります。
A2: しこりの大きさよりも、その性質や変化の様子が重要です。小さくても以下の場合は早めの受診をお勧めします:
急速に大きくなっている
硬く、動かない
痛みを伴う
発熱などの全身症状がある 早期発見・早期治療により、より良い結果が期待できます。
A3: 鼠径ヘルニアは自然治癒することがなく、放置すると徐々に進行します。最も危険なのは「嵌頓」という合併症で、脱出した腸管が締め付けられて血流が悪くなり、腸管壊死や腸閉塞を起こす可能性があります。これは生命に関わる緊急事態となるため、鼠径ヘルニアと診断されたら適切な時期に手術を受けることが重要です。
Q4: 女性の鼠径ヘルニアは男性と違いがありますか?
A4: 女性の鼠径ヘルニアにはいくつかの特徴があります:
- 大腿ヘルニアの頻度が高い(特に高齢女性)
- ヌック管水腫など女性特有の疾患との鑑別が必要
- 妊娠・出産が発症の誘因となることがある
- 子宮内膜症による鼠径部の痛みとの鑑別が必要な場合がある
Q5: 日帰り手術は安全ですか?
A5: 適切な症例選択を行えば、日帰り手術は安全で効果的な治療選択肢です。特に鼠径ヘルニアの手術では、多くの場合に日帰り手術が可能です。ただし、以下の点が重要です:
- 術前の十分な評価
- 適切な麻酔管理
- 術後の適切な経過観察
- 緊急時の対応体制の確保
Q6: 手術後の日常生活への復帰はいつ頃可能ですか?
A6: 手術の種類や術後の経過により異なりますが、一般的な目安は以下の通りです:
鼠径ヘルニア手術
- デスクワーク:術後1-2週間
- 軽作業:術後2-4週間
- 重労働:術後6-8週間
皮下腫瘍摘出術
- デスクワーク:術後数日-1週間
- 通常の日常生活:術後1-2週間
Q7: 術後の再発はありますか?
A7: 現代の手術技術により、再発率は大幅に減少しています:
鼠径ヘルニア手術
- メッシュ使用手術:再発率1-3%
- 組織縫合のみ:再発率5-15%
再発を予防するためには:
- 適切な手術手技
- 術後の生活指導の遵守
- 定期的な経過観察
Q8: 複数のしこりがある場合は何が考えられますか?
A8: 複数のしこりがある場合は、以下の可能性が考えられます:
- 多発性のリンパ節腫大(感染症、血液疾患、膠原病など)
- 両側の鼠径ヘルニア
- 皮下腫瘍の多発(脂肪腫、粉瘤など)
- 悪性腫瘍の転移
複数のしこりがある場合は、より詳細な検査が必要となることが多いため、早めの受診をお勧めします。
9. 最新の治療動向
9.1 鼠径ヘルニア治療の進歩
9.1.1 新しい手術技術
ロボット支援手術
- より精密な手術操作が可能
- 術者の負担軽減
- 患者の術後回復が早い
単孔式腹腔鏡手術
- 創が小さく、美容的に優れる
- 術後の痛みが少ない
9.1.2 新しいメッシュ材料
生体吸収性メッシュ
- 一定期間後に体内で吸収される
- 異物反応のリスク軽減
軽量メッシュ
- より柔軟性があり、違和感が少ない
- 慢性疼痛のリスク軽減
9.2 診断技術の進歩
9.2.1 画像診断の向上
高解像度超音波
- より詳細な構造の観察が可能
- リアルタイムでの動的評価
MRI拡散強調画像
- 悪性腫瘍の早期発見
- 良悪性の鑑別能向上
9.2.2 分子診断の応用
リンパ節の遺伝子解析
- より正確な病型診断
- 個別化医療への応用
9.3 低侵襲治療の発展
9.3.1 薬物療法の進歩
分子標的薬
- 悪性リンパ腫の治療成績向上
- 副作用の軽減
免疫チェックポイント阻害薬
- 一部の悪性腫瘍に効果的
9.3.2 非手術的治療法
超音波治療
- 一部の良性腫瘍に対する非侵襲的治療
レーザー治療
- 皮膚病変の治療選択肢の拡大
10. 合併症と対策
10.1 手術に伴う合併症
10.1.1 一般的合併症
創感染
- 発生率:1-5%
- 予防:術前の皮膚消毒、予防的抗菌薬
- 治療:適切な抗菌薬、必要に応じて創の洗浄
血腫・漿液腫
- 発生率:2-10%
- 予防:適切な止血、ドレーン留置
- 治療:穿刺排液、圧迫固定
10.1.2 特殊合併症
慢性疼痛
- 発生率:1-3%
- 原因:神経損傷、メッシュによる炎症
- 予防:適切な神経の同定と保護
- 治療:鎮痛薬、神経ブロック
メッシュ感染
- 発生率:0.1-1%
- 症状:持続する痛み、膿の流出
- 治療:メッシュの除去、抗菌薬治療
10.2 疾患固有の合併症
10.2.1 鼠径ヘルニア
嵌頓
- 緊急手術の適応
- 早期診断と迅速な対応が重要
絞扼性イレウス
- 腸管壊死のリスク
- 集中治療が必要な場合もある
10.2.2 悪性リンパ腫
腫瘍崩壊症候群
- 化学療法開始時に注意
- 適切な前処置と監視体制
感染症
- 免疫抑制状態による易感染性
- 予防的抗菌薬の検討
11. 長期管理と経過観察
11.1 術後の長期管理
11.1.1 定期検査の重要性
手術部位の評価
- 術後1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年での検査
- 再発の早期発見
- 合併症の監視
機能評価
- 日常生活動作の評価
- 痛みや違和感の評価
- 運動制限の有無
11.1.2 生活指導
運動制限
- 術後初期の重労働制限
- 段階的な活動量の増加
- スポーツ復帰のタイミング
生活習慣の改善
- 便秘の予防
- 体重管理
- 禁煙指導
11.2 疾患別の長期管理
11.2.1 悪性リンパ腫
寛解後の管理
- 定期的な画像検査
- 血液検査による監視
- 二次がんのスクリーニング
晩期合併症の監視
- 心機能障害
- 甲状腺機能異常
- 不妊
11.2.2 良性疾患
再発の監視
- 鼠径ヘルニア:同側および対側の注意深い観察
- 皮下腫瘍:同部位および他部位の新生病変
生活の質の評価
- 痛みの評価
- 機能障害の有無
- 心理的な影響
12. 社会復帰支援
12.1 職場復帰のタイミング
12.1.1 職種別の復帰時期
事務職
- 術後1-2週間で復帰可能
- 痛み止めの使用に注意
- 長時間の座位に配慮
立ち仕事
- 術後2-4週間での復帰
- 段階的な労働時間の延長
- 適切な休憩の確保
重労働
- 術後6-8週間での復帰
- 医師との十分な相談
- 必要に応じて職種転換の検討
12.1.2 復帰時の注意点
段階的復帰
- 短時間勤務から開始
- 徐々に通常勤務に移行
- 症状の変化に応じた調整
職場での配慮
- 重量物の取り扱い制限
- 適切な作業環境の整備
- 定期的な休憩の確保
12.2 スポーツ復帰
12.2.1 復帰時期の目安
軽度の運動
- ウォーキング:術後1-2週間
- 水泳:術後4-6週間
- ゴルフ:術後6-8週間
激しい運動
- ランニング:術後6-8週間
- コンタクトスポーツ:術後8-12週間
- 重量挙げ:術後12週間以降
12.2.2 復帰時の注意点
医師との相談
- 復帰前の診察と許可
- 運動制限の確認
- 症状出現時の対応
段階的な運動負荷
- 軽い運動から開始
- 徐々に強度を上げる
- 痛みや違和感があれば中止
参考文献
- 日本ヘルニア学会ガイドライン作成検討委員会. 鼠径部ヘルニア診療ガイドライン 2024 第2版. 金原出版, 2024.
- 日本血液学会. 造血器腫瘍診療ガイドライン 第3.1版(2024年版). https://www.jshem.or.jp/gui-hemali/
- 日本リンパ浮腫学会. リンパ浮腫診療ガイドライン 2024年版 第4版. 金原出版, 2024.
- 国立がん研究センター がん情報サービス. リンパ腫の検査・診断について. https://www.ncc.go.jp/
- MSDマニュアル プロフェッショナル版. リンパ節腫脹. https://www.msdmanuals.com/
- 井谷史嗣. 非専門医も知っておきたい鼠径部ヘルニア治療〜ガイドライン改訂. ケアネット, 2024.
- Mindsガイドラインライブラリ. 鼠径部ヘルニア診療ガイドライン 2024. https://minds.jcqhc.or.jp/
- 日本外科学会. 外科治療の指針. 医学書院, 2024.
- 日本形成外科学会. 形成外科診療ガイドライン. 克誠堂出版, 2023.
- 北村薫. リンパ浮腫診療ガイドライン 2024年版発行、改訂点は? ケアネット, 2024.
おわりに
鼠径部のしこりは、日常診療でよく遭遇する症状の一つですが、その原因は多岐にわたります。最も多い鼠径ヘルニアから、感染性のリンパ節炎、良性腫瘍、時には悪性疾患まで、様々な可能性を考慮する必要があります。
重要なのは、しこりを感じた時に自己判断で放置せず、適切な医療機関を受診することです。多くの疾患は早期発見・早期治療により良好な予後が期待できます。特に鼠径ヘルニアのような良性疾患であっても、嵌頓という重篤な合併症を起こす可能性があるため、適切な時期での治療が重要です。
現在では、医療技術の進歩により、多くの疾患で低侵襲な治療法が選択可能となっています。日帰り手術や腹腔鏡手術などにより、患者さんの負担を最小限に抑えながら、良好な治療成績を得ることができます。
何か気になる症状がございましたら、お一人で悩まず、お気軽にアイシークリニック東京院にご相談ください。経験豊富な医師が、最新の医療技術と温かい心で、皆様の健康をサポートいたします。
監修者医師
高桑 康太 医師
略歴
- 2009年 東京大学医学部医学科卒業
- 2009年 東京逓信病院勤務
- 2012年 東京警察病院勤務
- 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
- 2019年 当院治療責任者就任
佐藤 昌樹 医師
保有資格
日本整形外科学会整形外科専門医
略歴
- 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
- 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
- 2012年 東京逓信病院勤務
- 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
- 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務