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「過去のつらい記憶が何度もよみがえる」「感情のコントロールが難しい」「人間関係がうまく築けない」——このような悩みを抱えていませんか。これらの症状は、複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)の可能性があります。複雑性PTSDは、2022年に世界保健機関(WHO)が発行するICD-11(国際疾病分類第11版)において正式に独立した診断名として認められた比較的新しい疾患概念です。幼少期の虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)、いじめなど、長期間にわたって繰り返されるトラウマ体験によって発症し、従来のPTSDよりも広範囲にわたる心の機能の困難さを伴います。本記事では、複雑性PTSDの症状や原因、診断基準、治療法について詳しく解説し、回復への道筋をご紹介します。もし、ご自身や大切な人が複雑性PTSDかもしれないと感じているなら、この記事が専門家への相談や回復への第一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いです。


目次

  1. 複雑性PTSDとは
  2. 複雑性PTSDと通常のPTSDの違い
  3. 複雑性PTSDの原因
  4. 複雑性PTSDの症状
  5. 複雑性PTSDの診断基準(ICD-11)
  6. 複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害の違い
  7. 複雑性PTSDの治療法
  8. 複雑性PTSDの薬物療法
  9. 複雑性PTSDの心理療法
  10. 複雑性PTSDからの回復に向けて
  11. よくある質問
  12. 参考文献

複雑性PTSDとは

複雑性PTSD(Complex Post-Traumatic Stress Disorder、略称:C-PTSD)は、長期間にわたって繰り返されるトラウマ体験の結果として発症する精神疾患です。世界保健機関(WHO)が発行する国際疾病分類の第11版(ICD-11)において、2018年に初めてPTSDとは区別された独立した診断基準として記載され、2022年1月1日から正式に発効されました。

複雑性PTSDという概念は、1992年にアメリカの精神科医ジュディス・ハーマンが著書『心的外傷と回復』の中で提唱したことに端を発します。ハーマンは、戦争や事故などの一度きりのトラウマとは異なり、幼少期に慢性的に繰り返されたトラウマ体験(児童虐待、ネグレクト、機能不全家族など)が、通常のPTSDとは異なる特有の症状パターンを引き起こすことを指摘しました。

ICD-11における複雑性PTSDは、通常のPTSDの3つの中核症状(再体験、回避、過覚醒)に加えて、「自己組織化の障害(Disturbances in Self-Organization:DSO)」と呼ばれる3つの症状群を伴うことが特徴です。自己組織化の障害とは、感情の調整困難、否定的な自己概念、対人関係の困難を指し、これらの症状が日常生活や社会生活に深刻な支障をきたします。

複雑性PTSDは、従来のPTSDの単なる重症型ではなく、長期的なトラウマが心の発達や構造そのものに与える影響を反映した、より複雑な病態として理解されています。特に発達初期に繰り返しトラウマにさらされた場合、通常のPTSDよりも複雑性PTSDを発症するリスクが高くなることが知られています。

複雑性PTSDと通常のPTSDの違い

複雑性PTSDと通常のPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、どちらもトラウマ体験によって引き起こされる精神疾患ですが、原因となるトラウマの性質、症状のパターン、治療アプローチにおいて重要な違いがあります。

トラウマの性質の違い

通常のPTSDは、交通事故、自然災害、犯罪被害、戦争体験など、比較的短期間の単回性のトラウマによって発症することが多いです。これらは「単純性トラウマ」とも呼ばれ、特定の出来事として明確に限定できることが特徴です。

一方、複雑性PTSDは、逃れることが困難または不可能な状況で、長期間にわたって繰り返されるトラウマ体験の後に発症します。具体的には、児童虐待(身体的・性的・心理的)、ネグレクト、長期間にわたるDV(ドメスティック・バイオレンス)、人身売買、拷問、強制収容などが該当します。ただし、ICD-11では、単回性のトラウマから複雑性PTSDが生じることも、持続的トラウマから通常のPTSDが生じることもあり得ると認められています。

症状パターンの違い

通常のPTSDは、以下の3つの中核症状群によって特徴づけられます。再体験症状として、トラウマの記憶が鮮明なフラッシュバックや悪夢として繰り返しよみがえります。回避症状として、トラウマを思い起こさせる考え、記憶、活動、状況、人を避けるようになります。過覚醒症状として、予期しない刺激に対して過剰な反応を示したり、過度の警戒心を持ったりします。

複雑性PTSDでは、これら3つの症状に加えて、自己組織化の障害(DSO)と呼ばれる以下の3つの症状群が認められます。感情調整の困難として、比較的軽微なストレスに対しても感情的に圧倒されやすく、怒りや悲しみなどの激しい感情をコントロールすることが難しくなります。否定的な自己概念として、自分が落ちこぼれである、他の人より劣っている、無価値であるという持続的な感覚を抱きます。対人関係の困難として、他者との親密な関係を維持することや、他者に親近感を感じることが困難になります。

治療アプローチの違い

通常のPTSDの治療では、トラウマ記憶に焦点を当てた心理療法(持続エクスポージャー療法やEMDRなど)が中心となります。これらの治療法は、特定のトラウマ記憶を処理し、症状の軽減を目指します。

複雑性PTSDの治療では、トラウマ記憶の処理に加えて、感情調整スキルの獲得、否定的な自己概念の修正、対人関係スキルの改善など、より広範な治療目標が設定されます。治療期間も一般的に長くなり、段階的なアプローチが推奨されています。

複雑性PTSDの原因

複雑性PTSDの発症には、長期間にわたって繰り返されるトラウマ体験が深く関わっています。特に、逃れることが困難または不可能な状況下での体験が、複雑性PTSDの発症リスクを高めます。

主な原因となるトラウマ体験

複雑性PTSDの原因として最も多いのは、児童期の逆境体験(Adverse Childhood Experiences:ACEs)です。具体的には、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト(育児放棄)などが挙げられます。特に、本来は自分を守ってくれるはずの親や保護者から裏切られたり、逃げ場がなかったりする状況は、より深刻な影響を与えます。

成人期においても、長期間にわたるDV(ドメスティック・バイオレンス)、人身売買、強制労働、拷問、戦争捕虜としての拘束、難民としての迫害体験などが、複雑性PTSDの原因となることがあります。また、学校や職場での長期間にわたるいじめやハラスメントも、複雑性PTSDに類似した症状を引き起こす可能性が指摘されています。

発症に影響する要因

同じトラウマ体験をしても、全ての人が複雑性PTSDを発症するわけではありません。発症には、トラウマの重症度や持続期間に加えて、個人の要因や環境要因が複雑に絡み合っています。

発症リスクを高める要因としては、トラウマ体験の開始年齢が若いこと、トラウマ体験が長期間にわたること、トラウマの加害者が養育者など身近な人物であること、社会的サポートが乏しいこと、遺伝的な脆弱性などが挙げられます。一方、安定した愛着関係を持つ人がいること、適切なソーシャルサポートが得られること、早期に適切な治療を受けられることなどは、発症リスクを軽減する保護要因として働きます。

複雑性PTSDの症状

複雑性PTSDの症状は、通常のPTSDの症状と自己組織化の障害(DSO)の症状の両方を含みます。これらの症状は日常生活のあらゆる場面で現れ、個人の生活の質を著しく低下させます。

PTSD症状

再体験症状では、過去のトラウマ体験が突然よみがえるフラッシュバックが起こります。フラッシュバックは、あたかも今まさにトラウマ体験が繰り返されているかのような解離的反応を伴うことがあります。また、トラウマに関連した内容の悪夢を繰り返し見ることもあります。これらの症状は、本人の意思とは無関係に侵入的に生じ、強い苦痛を引き起こします。

回避症状では、トラウマを思い起こさせるあらゆるものを避けようとします。トラウマに関連する考えや感情を意識的に回避したり、トラウマを想起させる場所、人物、活動、状況を避けたりします。以前は普通に行けていた場所に行けなくなる、特定の話題を避けるなどの行動として現れることがあります。

過覚醒症状では、常に危険を警戒する状態が続きます。ちょっとした物音や刺激に対して過剰に驚いたり(過剰な驚愕反応)、イライラしやすくなったり、睡眠障害が生じたり、集中力が低下したりします。まるで常に身体が「戦闘態勢」にあるような状態が続き、心身ともに疲弊してしまいます。

自己組織化の障害(DSO)症状

感情調整の困難では、感情のコントロールが著しく困難になります。比較的軽微なストレスに対しても感情的に圧倒されやすく、激しい怒り、深い悲しみ、強い不安、絶望感などに飲み込まれてしまいます。動揺したときに気持ちを落ち着かせることが難しく、感情が麻痺したり解離したりすることもあります。感情の波が激しく、自分でも制御できないように感じることがあります。

否定的な自己概念では、自分自身に対する持続的な否定的認識を持ちます。トラウマの原因が自分にある、自分が悪かったのだという考えに囚われやすく、強い羞恥心、罪悪感、失敗感を抱きます。自分は落ちこぼれである、他の人より劣っている、無価値であるという感覚が持続し、自己肯定感が著しく低下します。

対人関係の困難では、他者との関係を築き、維持することが困難になります。他者を信頼することへの恐れ、親密な関係への回避、または逆に特定の人への過度な依存が見られることがあります。人間関係が不安定になりやすく、孤立感や疎外感を感じやすくなります。傷つくことを恐れて人との距離を置いてしまう一方で、親しくなりたいという願望も持っており、この葛藤に苦しむことがあります。

解離症状

複雑性PTSDでは、解離症状が顕著に現れることがあります。解離とは、意識、記憶、アイデンティティ、知覚などの統合が一時的に失われる現象です。自分が自分ではないように感じたり(離人感)、周囲の世界が現実ではないように感じたり(現実感喪失)することがあります。また、トラウマ体験の記憶の一部が欠落していたり、断片的にしか思い出せなかったりすることもあります。解離は、耐えられないほどの苦痛から心を守るための防衛機制として生じると考えられています。

複雑性PTSDの診断基準(ICD-11)

複雑性PTSDの診断は、ICD-11(国際疾病分類第11版)に基づいて行われます。ICD-11では、複雑性PTSDは「6B41」というコードで分類されており、通常のPTSD(6B40)とは明確に区別されています。

ICD-11における診断基準

複雑性PTSDの診断には、まずPTSDの診断基準を全て満たしていることが必要です。PTSDの診断基準は、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事への曝露後に、再体験症状、回避症状、過覚醒症状(脅威の感覚)の3つの症状群が全て認められ、それが機能障害を伴って持続していることです。

これに加えて、複雑性PTSDの診断には、自己組織化の障害(DSO)として以下の3つの症状群が全て認められる必要があります。まず、感情コントロールの困難さがあること。次に、トラウマ的出来事に関する羞恥心、罪悪感、失敗感を伴った自己卑下、挫折感、無価値感があること。そして、他者と持続的な関係を持つことや親近感を感じることの困難さがあること。これらの症状が、個人的、家庭的、社会的、教育的、職業的、その他の重要な領域で深刻な機能不全をもたらしていることも診断の条件となります。

診断における注意点

ICD-11では、PTSDと複雑性PTSDの両方の診断が同時につくことはありません。複雑性PTSDの診断基準を満たしている場合は、複雑性PTSDの診断が優先されます。

また、脱出が困難または不可能な極度に長期にわたる、または反復的な性質のストレス因子に曝露された経験があっても、それ自体が複雑性PTSDの存在を示すわけではありません。このようなストレス因子を経験しても、障害を発症しない人は多く存在します。診断には、上記の全ての症状基準を満たしていることが必要です。

なお、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5では、複雑性PTSDは独立した診断名として採用されていません。DSM-5では、複雑性PTSDに相当する症状の多くをPTSDの拡張された診断基準に組み込むアプローチを取っています。そのため、日本の臨床現場では、ICD-11とDSM-5の両方が使用されており、診断名の付け方が医療機関によって異なる場合があります。

複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害の違い

複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害(BPD)は、感情の調整困難や対人関係の問題など、いくつかの症状が重複しているため、鑑別が難しいことがあります。しかし、両者は異なる疾患であり、適切な治療のためには正確な鑑別診断が重要です。

症状の違い

感情の調節が困難という点では両者は共通していますが、それ以外の診断要件については明らかな違いがあります。

境界性パーソナリティ障害では、他者に対する認識が理想化と脱価値化の間を激しく行き来する、感情的に激しく不安定な人間関係が特徴的です。また、非常に肯定的な自己評価と否定的な自己評価の間を行き来する不安定な自己意識があります。「見捨てられ不安」と呼ばれる、見捨てられることへの強烈な恐怖も境界性パーソナリティ障害の中核的な特徴です。

一方、複雑性PTSDでは、人間関係が困難で避けた方がよいと認識し、他者との親密な関係を回避する傾向があります。自己概念については、極めて否定的ではあるが比較的安定しており、境界性パーソナリティ障害のような激しい変動は見られません。

トラウマとの関連

複雑性PTSDの診断には、トラウマとなるような出来事の存在とそれに関連したPTSD症状(再体験、回避、過覚醒)が必須条件です。一方、境界性パーソナリティ障害の診断基準には、トラウマ体験は含まれていません。

ただし、境界性パーソナリティ障害の患者の多くが幼少期のトラウマ体験を持っていることも事実であり、境界性パーソナリティ障害患者の約30%にPTSDが併存しているという報告もあります。そのため、両者は併存することもあり、臨床現場では慎重な評価が必要です。

自傷行為について

自殺未遂やリストカットなどの自傷行為は、境界性パーソナリティ障害の診断基準に含まれる重要な特徴ですが、複雑性PTSDの診断基準には含まれていません。ただし、複雑性PTSDの患者にも自傷行為が見られることはあり、この点だけで鑑別することはできません。

複雑性PTSDの治療法

複雑性PTSDの治療は、通常のPTSDよりも複雑で長期にわたることが多いです。現在、複雑性PTSDに対する治療の第一選択は、トラウマに焦点を当てた心理療法であり、薬物療法は補助的な役割を担います。治療は一般的に段階的に進められ、安全の確保と安定化、トラウマ記憶の処理、社会復帰と日常生活への再統合という3つの段階を経ることが推奨されています。

段階的治療アプローチ

第1段階は「安全の確保と安定化」です。この段階では、まず安全な治療環境と治療関係を構築することが重要です。複雑性PTSDの患者は他者を信頼することが難しいため、治療者は受容的で予測可能な安全な関係性を提供する必要があります。また、感情調整スキルの習得、解離症状への対処法の学習、自傷行為や自殺企図のリスク管理なども、この段階で行われます。

第2段階は「トラウマ記憶の処理」です。十分な安定化が得られた後、トラウマ記憶に焦点を当てた治療が行われます。この段階では、EMDRや持続エクスポージャー療法などのトラウマ焦点化心理療法を用いて、トラウマ記憶を適切に処理し、その記憶に伴う苦痛を軽減します。

第3段階は「社会復帰と日常生活への再統合」です。トラウマ処理が進んだ後、日常生活や社会生活への復帰を支援します。対人関係スキルの向上、自己肯定感の回復、将来への希望の構築などが、この段階の目標となります。

複雑性PTSDの薬物療法

複雑性PTSDの治療において、薬物療法はトラウマ焦点化心理療法に次ぐ第二選択の治療法として位置づけられています。薬物療法は複雑性PTSD自体を根本的に治療するものではありませんが、症状の軽減や安定化を図り、心理療法を効果的に進めるための土台作りとして重要な役割を果たします。

SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)

SSRIはPTSDの薬物療法における第一選択薬です。日本では、パロキセチン(商品名:パキシル)とセルトラリン(商品名:ジェイゾロフト)がPTSDに対する保険適用を取得しています。SSRIは、抑うつ症状、不安、恐怖、過覚醒(不眠、イライラ、集中困難など)、フラッシュバックの頻度や強度の軽減に効果が期待できます。

SSRIは効果が現れるまでに通常2週間から数週間かかり、十分な効果が得られるまでには1〜2ヶ月かかることもあります。副作用としては、吐き気、口渇、便秘、眠気、性機能障害などがありますが、多くは服用を続けるうちに軽減します。PTSD患者は副作用に敏感なことが多いため、少量から開始し、徐々に増量することが推奨されています。

その他の薬物療法

SSRIで十分な効果が得られない場合や、副作用が問題となる場合には、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)であるベンラファキシン(商品名:イフェクサー)やデュロキセチン(商品名:サインバルタ)が使用されることがあります。

抗精神病薬(リスペリドン、クエチアピン、オランザピンなど)は、SSRIへの上乗せ治療として、特に衝動性が強い場合や治療抵抗性の場合に使用されることがあります。また、睡眠障害や悪夢に対しては、特定の薬剤が有効であることが報告されています。

一方、ベンゾジアゼピン系抗不安薬は、即効性の抗不安作用はあるものの、PTSDの中核症状には無効であり、依存性を形成しやすいため、長期連用は推奨されていません。

薬物療法の注意点

複雑性PTSDの薬物療法では、通常のうつ病治療とは異なる配慮が必要です。複雑性PTSDに伴う気分変動は、双極性障害とは異なる機序で生じていることがあり、抗うつ薬の投与によって気分変動が増悪するケースも報告されています。そのため、慎重な経過観察と用量調整が求められます。

また、薬物療法はあくまで補助的な治療であり、複雑性PTSDの根本的な回復には心理療法が不可欠です。薬物療法と心理療法を適切に組み合わせることで、より効果的な治療が可能になります。

複雑性PTSDの心理療法

複雑性PTSDの治療において、心理療法は中心的な役割を果たします。特にトラウマに焦点を当てた心理療法(トラウマ焦点化心理療法)は、薬物療法よりも大きな効果量が報告されており、第一選択の治療法として推奨されています。

STAIR Narrative Therapy(STAIR/NST療法)

STAIR Narrative Therapyは、複雑性PTSDに対して特に開発された心理療法です。STAIRは「Skills Training in Affective and Interpersonal Regulation(感情と対人関係の調整のためのスキルトレーニング)」の略で、この療法は感情調整スキルと対人関係スキルを習得するSTAIRフェーズと、トラウマ記憶を語りとして統合していくNarrative Story Telling(NST)フェーズの2つの段階で構成されています。

国立精神・神経医療研究センターの研究では、ICD-11の複雑性PTSD診断を満たす患者を対象としたSTAIR Narrative Therapyの臨床試験が実施され、治療を完了した患者の多くが治療後または治療終了3か月後に複雑性PTSDの診断基準を満たさなくなったことが報告されています。この研究は、STAIR Narrative Therapyが日本の臨床現場でも安全に実施可能であり、複雑性PTSDに対して効果が期待できることを示しています。

EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)

EMDRは、1989年にアメリカの臨床心理士フランシーン・シャピロによって開発された心理療法です。トラウマ記憶を想起しながら、治療者の指の動きを目で追うなどの両側性刺激(眼球運動やタッピングなど)を行うことで、トラウマ記憶の処理を促進します。

EMDRは、WHOや多くの国々のPTSD治療ガイドラインでPTSDに効果的な治療法として推奨されています。複雑性PTSDに対しても有効性が示されていますが、単回性のトラウマに比べると効果が出るまでに時間がかかったり、より長期の治療が必要になったりすることがあります。EMDRを受けるためには、トラウマ記憶をある程度思い出す必要があるため、十分な安定化が得られていることが前提となります。

持続エクスポージャー療法(PE療法)

持続エクスポージャー療法は、認知行動療法に基づくPTSDの治療法で、暴露療法とも呼ばれます。トラウマ記憶に繰り返し向き合うこと(イメージエクスポージャー)や、回避していた場所や状況に段階的に接近すること(現実エクスポージャー)を通じて、トラウマに関連した不安や恐怖を軽減します。

持続エクスポージャー療法はPTSDに対する高いエビデンスを持つ治療法ですが、複雑性PTSDの場合は、感情調整スキルの獲得など、安定化のための準備段階を十分に行ってから実施することが重要です。

認知処理療法(CPT)

認知処理療法は、トラウマ体験によって形成された不適応的な認知(考え方のパターン)を修正することを目的とした治療法です。トラウマ後に生じやすい「自分が悪かった」「世界は危険だ」「誰も信用できない」といった歪んだ認知を同定し、より適応的な認知へと修正していきます。PTSDに対する有効性が確立されており、複雑性PTSDにも応用されています。

弁証法的行動療法(DBT)

弁証法的行動療法は、もともと境界性パーソナリティ障害の治療のために開発された治療法ですが、複雑性PTSDにも適用されています。感情調整スキル、対人関係スキル、苦痛耐性スキル、マインドフルネススキルの4つの領域でスキルトレーニングを行います。特に感情調整の困難さや自傷行為がある場合に有効とされています。

複雑性PTSDからの回復に向けて

複雑性PTSDは、適切な治療と支援によって回復が可能な疾患です。回復への道のりは一人ひとり異なり、時間がかかることもありますが、多くの方が症状の軽減や生活の質の向上を経験しています。

専門家への相談

複雑性PTSDが疑われる場合は、精神科や心療内科への受診をお勧めします。複雑性PTSDやトラウマ治療に詳しい医師や心理士を探すことが重要です。「トラウマ専門外来」「PTSD専門外来」などをキーワードに検索したり、精神保健福祉センターに相談して紹介を受けたりする方法があります。

初診では、現在の症状や困っていること、過去の体験などについて詳しく聞かれます。全てを一度に話す必要はなく、信頼関係が築かれてから少しずつ話していくことができます。診断には時間がかかることもありますが、適切な診断に基づいた治療計画を立てることが回復への第一歩となります。

日常生活でのセルフケア

専門的な治療と並行して、日常生活でのセルフケアも回復を支える重要な要素です。規則正しい生活リズムを維持すること、十分な睡眠を確保すること、適度な運動を行うこと、バランスの取れた食事を心がけることなど、基本的な生活習慣の見直しが症状の安定化に役立ちます。

また、リラクセーション技法(腹式呼吸、筋弛緩法など)やマインドフルネスの実践は、過覚醒状態を和らげ、「今、ここ」に意識を向ける力を養うのに役立ちます。信頼できる人との安全なつながりを維持することも、孤立を防ぎ、回復を支える大きな力となります。

回復への希望

複雑性PTSDからの回復は、直線的ではなく、進んだり戻ったりしながら進むことが多いです。症状が一時的に悪化することがあっても、それは回復の過程の一部であり、必ずしも後退を意味するわけではありません。

治療を通じて、多くの方が「自分は悪くなかった」と理解できるようになり、自分の身体が生き延びるために最善を尽くしてくれていたことに気づくようになります。長年自分を苦しめてきた症状に対しても、適切な対処ができるようになり、少しずつ自信がついていきます。回復の過程で、人生に新たな意味を見出したり、より深い人間関係を築けるようになったりする方も少なくありません。

もし今、つらい症状に苦しんでいるなら、一人で抱え込まず、専門家に相談することをお勧めします。適切な治療と支援があれば、複雑性PTSDからの回復は可能です。回復への第一歩を踏み出す勇気を持っていただければ幸いです。

よくある質問

複雑性PTSDは治りますか?

複雑性PTSDは適切な治療によって回復が期待できる疾患です。国立精神・神経医療研究センターの研究では、STAIR Narrative Therapyを受けた患者の多くが治療後に診断基準を満たさなくなったことが報告されています。治療には時間がかかることが多いですが、症状の軽減や生活の質の向上は十分に期待できます。薬物療法と心理療法を組み合わせた包括的な治療と、信頼できる専門家との継続的な関わりが回復への鍵となります。

複雑性PTSDと通常のPTSDは何が違うのですか?

複雑性PTSDと通常のPTSDは、原因となるトラウマの性質と症状のパターンに違いがあります。通常のPTSDは事故や災害などの単回性トラウマで発症することが多いのに対し、複雑性PTSDは児童虐待やDVなど長期間繰り返されるトラウマによって発症します。症状面では、複雑性PTSDはPTSDの3症状(再体験、回避、過覚醒)に加えて、感情調整の困難、否定的な自己概念、対人関係の困難という自己組織化の障害を伴うことが特徴です。

複雑性PTSDの治療にはどのくらいの期間がかかりますか?

複雑性PTSDの治療期間は個人差が大きく、一概には言えませんが、通常のPTSDよりも長期にわたることが一般的です。症状の重さ、トラウマ体験の性質と持続期間、併存する他の精神疾患の有無、社会的サポートの有無などによって治療期間は異なります。数ヶ月から数年かかることもありますが、段階的な治療アプローチにより、徐々に症状の改善が見られることが多いです。焦らず、専門家と相談しながら自分のペースで治療を進めることが大切です。

複雑性PTSDは自分で診断できますか?

複雑性PTSDは医療専門家による診断が必要であり、自己診断はできません。複雑性PTSDの症状は他の精神疾患(うつ病、境界性パーソナリティ障害、解離性障害など)と重複することがあり、正確な診断には専門的な評価が必要です。もし記事で紹介した症状に心当たりがある場合は、精神科や心療内科を受診し、専門家に相談することをお勧めします。適切な診断を受けることで、最適な治療計画を立てることができます。

複雑性PTSDの治療で使われる薬にはどのようなものがありますか?

複雑性PTSDの薬物療法では、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が第一選択薬として使用されます。日本でPTSDに保険適用があるのは、パロキセチン(パキシル)とセルトラリン(ジェイゾロフト)です。これらは抑うつ症状、不安、フラッシュバック、過覚醒症状などの軽減に効果があります。ただし、薬物療法は症状を緩和するものであり、複雑性PTSDの根本的な治療には心理療法との併用が重要です。


参考文献

監修者医師

高桑 康太 医師

略歴

  • 2009年 東京大学医学部医学科卒業
  • 2009年 東京逓信病院勤務
  • 2012年 東京警察病院勤務
  • 2012年 東京大学医学部附属病院勤務
  • 2019年 当院治療責任者就任

佐藤 昌樹 医師

保有資格

日本整形外科学会整形外科専門医

略歴

  • 2010年 筑波大学医学専門学群医学類卒業
  • 2012年 東京大学医学部付属病院勤務
  • 2012年 東京逓信病院勤務
  • 2013年 独立行政法人労働者健康安全機構 横浜労災病院勤務
  • 2015年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院勤務を経て当院勤務
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